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すれ違いのココロ

狭い道でのクルマ同士のすれ違い。
双方に譲り合いの気持ちがあれば良いのですが、時々なんも考えずに自分の方が優先だとばかりに躊躇なく突っ込んでくるクルマがあります。

結果すれ違いさえうまくできれば私が待たされる側であったとしても別にそれはかまわないのですが、問題なのは、どの場所ですれ違えばよいのかという見通しなしに、こちらの出方を窺うこともなく突っ込んでくるクルマがあることです。

これは、最悪鉢合わせになってどちらかがバックを強いられることになり、結局できるだけスムーズにその場をやり過ごすという双方にとっての一番の目的を果たすこともできなくなるばかりでなく、バックする側にとっては大変な危険を伴うことにもなります。

狭い場所でのクルマ同士のすれ違いは、本来思いやりの心も大切ですが、それ以上にその場所で双方がどういうすれ違い方をすれば最もうまくいくのかをまず考えて阿吽の呼吸でするものだと思います。

別に難しいことじゃなくって、要するに強引な優先意識を捨て、例えば《あの電柱の手前でこちらが止まって待てば向こうのクルマが脇をすり抜けて行ける》とか、《向こうのクルマがあと5メートル進んでちょっとだけ広くなっているアノ場所で止まって待ってくれればこちらが素早く通り抜けられる》みたいなことを、お互いに理解し合うことなんだと思います。

そういう意味では、狭い場所で対向車に出会うと瞬間的に気持ちが萎縮してしまいその場所でピタリと止まって動かなくなるクルマも強引に突っ込んでくるクルマとなんらかわりがないものと言えます。
にらめっこ状態になったら自分が止まって待てばよいという考えは、思いやりの心でもマナーでもなく、単なる状況を読めない思考停止でしかありません。

行くか止まるかの判断は実はとってもシステマティックなもので、“心”の介在するスペースはとても小さいと思うのです。

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